古代の布団

 

縄文・弥生時代

竪穴式住居

 

縄文土器や弥生式土器の時代は、竪穴式住居とよばれている半地下式のくぼみに、掘っ立て小屋の屋根だけをのっけた住居が用いられていた。内部には炉があって火を焚き、照明・暖房・炊事に使われていたようである。

 

和歌山市の西田井遺跡から、弥生時代から古墳時代に至る竪穴式住居のなかに、ベッドの木幹跡が発見された事から、丸太などのベッドらしきものに寝ていたと想像される。考えてみれば、地面より低い土間に毛皮など敷いて寝るのは、雨が降れば無理だったろうし、毒蛇や昆虫がうようよしていた地べたに寝るのは危険極まりないので、ベッドらしきものを設えて1段高い場所に寝る方が自然である。

 

この時代の布団については、現存する書物も無いので、想像になるが、毛皮、海草を編んだもの、樹皮を編んだもの、稲作が始まってからはムシロ、などが考えられる。

古墳・飛鳥時代

布団,日本史

 

さて、5〜6世紀ごろの風俗は、ハニワの人物像によって具体的に知ることができる。ズボンかスカートを身につけ、ブーツを履いている。
今日の洋服は、明治時代に西洋から取り入れた外来風俗であるけれども、その西洋風俗をたどっていくと、中央アジアの草原地帯にいきつくのである。この風俗が遊牧民の東方移動とともに4〜5世紀ごろには日本に伝来して、奈良朝以前の日本風俗の原型をなしていたのだ。
そして、寝具関係にも、布製品が使われている。しかし、綿(コットン)が使われたのは、ずっと後の事なので、当時は、植物の茎を編んだものが主流であった。

 

この時代には、掛け布団にあたるものはフスマ、敷き布団にあたるものがタタミであった。

 

布団,日本史

 

古事記(上巻)に、スセリヒメが、その夫オオクニヌスノミコトにたてまつった歌であるが、
ムシブスマとは、カラムシ(植物)の茎を蒸して剥がし,繊維を採って織った掛け布団であり、独特の光沢があり、柔らかくて、現在でもからむし布団として製造されている。

 

タクブスマとは、たく(コウゾの古名)の樹皮を原料とした布で作った掛け布団で、色が白いので「白山風」とか「新羅」にかかる枕詞にも用いられている。

 

カラムシとコウゾ

 

 

アサブスマ

 

庶民の掛け布団としては、麻布を継ぎ合わせ、綴り合せたアサブスマが一般的だったようであるが、
麻は冬季の保温には不適当なので、「貧窮問答歌」の1節にもあるように、あるだけの衣類を上に重ねて寒さを凌いでいた事がうかがえる。

 

 

「古事記」におけるヤマトタケルノミコトの説話では、「時に菅畳(すがたたみ)を8重、皮畳(かわたたみ)を8重…」と伝えている。
すがたたみとは、菅(すげ)の植物から編みこんで作られた敷き布団(タタミ)で、現在でも、すげ笠などで見てとれる。すげ笠

 

かわたたみとは、アザラシかオットセイなどの皮ではないかとされている。

 

 

庶民は、ムシロが主流であったらしく、大阪府の志紀遺跡に古墳時代初期のムシロが発掘されている。稲ワラを横に並べ、細いワラ縄を使用して編んだものであり。左右両端もほつれないようにとめてあり、現在のムシロとほぼ同じ技術で製作されているという。

 

 

 

「臥す」と「寝る」

蛇足ではあるが、「万葉集」には、「臥す」という表現と、「寝る」という表現が登場する。
「臥す(フス)」とは、長々と横に臥す事であり、現在では、「横になる」「睡眠をとる」という意味合いであった。
一方、「寝る」とは、専ら、男女の性的営みの意味であり、現在の「彼女とはもう寝たの?」などという言葉は、万葉的な表現とも言えるのかもしれない。